The Truth of the Awareness

The Truth of the Awareness

幻想世界から目醒めるためのヒント

ノンデュアリティにはプロセスがある

タイトルに「ノンデュアリティ」とつけたけど、

まずは「苦しみの原因」について書くね

 


「苦しみの原因」って何なんだろう?
って考えたことあるかな

 


検索してみると色々と挙げられているね


フワスピ系なら「ワンネスから分離してるせい」

悟り系なら「執着や煩悩があるから」「自分とエゴを同一化してるから」

アダルトチルドレンなら「毒親

自己啓発なら「自分を愛せないこと、他人と比べること」

霊能系なら「先祖や前世の因縁」

などなど

 

でもこれらはその人のその時の立ち位置からの意見を語っているに過ぎない

 

 

すべてを総括すると、

各々の価値観と呼ばれるもの、

その”偏り“が苦しみの原因

なんだよね

 

 

でも自分の価値観に気づくだけでは足りなくて

 

人間として自分や他者はお互いに様々な価値観を持っているということ、

それは各々によって偏っているのだということを自覚し、認め、受け入れつつ、

 

自分の偏った価値観を

自分でニュートラルに戻していく

という作業をやる必要がある

 

 

あらゆる苦をなくすには、 

また覚醒するには、

これをやっていかないとならない

 

 

 でも自分の価値観を頑固に握りしめて、

それにがんじがらめになっている人間がほとんど

 

 

それ、

自分で自分を苦しめているということなんだよね

 

 

 

私は『検証、精査しようね』っていつも言っているけど、

それは“そのときの自分”でやればいいの

 

今のアナタがたは
検証、精査やっても
たぶん偏った結果になると思う


でもそれでいいのよ


検証、精査しようという気持ちが大事なのだから

 

とにかく
『丸ごと鵜呑みにするのはやめようよね』
って私は言いたいの

 

 

私もスピにハマっているとき、
スピブログをあれこれ読んだり、
いろんなブロガーさんが語ることに傾倒したりしてたよ

 

もちろんハマったり傾倒したりしてもいい

 

だけどどれだけハマったり傾倒したりしても、
他者が書いたものには必ずといっていいほどちょっとした違和感とか引っかかる部分ってあるんだよね

 

(それに気づくために読まされているとも言える)

 

 

私はその引っかかる所やどう違和感を感じるのかを自分なりに一つ一つ検証してきた

 


(あちこちから仕入れた知識だけで検証するのではなく、
自分の奥底からわいてくる感情、内観によって検証するの)

 


そうすると、

あ~ここがオカシイと思ったんだな

ここに違和感があったんだなって気がつく

 

そして、

読んでいてどんな気持ち、感情がわいたのかもつぶさに観る

 

このときに自分の中にある自我&エゴがあぶり出されてくるの

 

それを昇華できたら
その人のブログはもう要らなくなる

 


もしまだなんか読みたいというのなら、
まだ気づかせてもらうことがそのブログに残っているということ

 

 

ブログだけでなく

いろんなものから

そういう風に一つ一つ

引っかかることや違和感をクリアにしていく

 

そのプロセスが大事なのであって、

その検証や精査が正しい結果なのかどうかはどうでもいいの

 

 

“そのときの自分”なりにやればいい、

“そのときの自分”を偽って、

「中庸の目線で」とか「公平な目線で」とか「覚醒者の目線になって」とか、

そんなのできもしないうちから他人のフリしてやる必要なんてない

 

そんなことやってたら内観の意味がなくなる

 

 

もしその時の自分には検証できない~分かんない~って時は
保留にしとけばいい


いつか絶対に
できるときが来るから

 

 

 これが『探求』だよ

 

 

何かを丸ごと鵜呑みにしているうちは探求じゃなく自分を洗脳しているだけ

 

その洗脳から解かれていくのが覚醒よね

 

 

 

アナタがたの“今の自分”って、

今の自分の価値観(価値基準・価値判断・モノサシ・色眼鏡)で物事を観ているってこと

よね?

 


でも、
出会うものを“今の自分”で一つ一つ内観や検証・精査していくごとに、
自分の中に隠れている自我&エゴが一つ一つ浮き上がってくる

 

内観や検証・精査を自分なりにやっていけば、
出会うものの検証・精査は徐々に精度が増していくし、

それらを昇華させクリアにしていくごとに
真我が覚醒していくんだよね

 

 

それをやっていくと、
今の自分の価値観が少しずつ
『一元(ノンデュアリティ)』へと向かっていくんだよ

 

 

 

私、

今出回っているノンデュアリティについての説明のほとんどすべて

幻想世界(4次元スピ)のノンデュアリティだと思っている

 

その4次元スピ世界のノンデュアリストさんたちが語るノンデュアリティ

私の言うノンデュアリティの違いは

プロセスがあるかないか

 

 

4次元スピのノンデュアリティの説明では、

「こうしたらああなるという状態の移行ではない」

「すべては自動的に起こっている」

「起こることはすべてただの二元ストーリー、幻」

 

悟りに関しても

「私たちはすでに最初から覚醒している」

だから

「悟りのために何もする必要はない」

「それを思い出すだけでいい」

ってことを言っているよね

 

 

でもね、

「ノンデュアリティ」という言い方について考えてみると


その意味は「非二元」
二元に非ず

 

「ノンデュアリティ二元ではないよ」
ってはっきり言ってる

 

 

それは言い換えると

二元にはもともとの元となる一元があって、

そこから異なる二つの極が作られるのが二元だということ

 


二元から

もともとの一元に戻る
という道(プロセス)があるよ

 

という風に解釈できるんじゃない?

 

 

「そもそも分離なんてない」というなら、

最初から「一元」と言えばいいわけで、


わざわざ「二元」なんて言い方しなくてもいいんじゃない?

 

 

それに、

非二元ティーチャーに倣ってノンデュアリティの境地を頭の中にインプットできたとしても、

それは自我がやっていることで、

しょせん幻想マヤカシでしかない

 

(そのマヤカシのノンデュアリティに囚われたままだと魔境固定)

 

 

 

私がこのブログに書いている5次元覚醒とは、

自分の内にあるあらゆる二元の極がすべてゼロポイントに戻ること

 

 (=価値観の偏りが失せること)

 

 

それが私の言う悟りでありノンデュアリティで、

 

そうなるまでには

内観によって自分で幾数もの二元の極をゼロポイントに戻していくという自発的なプロセスが要るよ

ってこと

 

 

もちろんガツガツやり続けなくても構わないし、

途中で休みたければ休めばいいし、

無理せずに自分のペースでやればいい

 

誰かと速さを競うようなものではないんだから

 

 

 

価値観の偏り

二元

苦しみ

内観

プロセス

これらはぜんぶ必要なことで、

 

どれか1つが欠けても真理(悟り・ノンデュアリティ)にはたどり着けない

 

 

苦しいことなんて体験したくないよね

でも、自分の中にある自我&エゴを見つけ出して

昇華してやるために

苦しみの体験があるんだよね

 

自我&エゴに無関心な人が多いし、

いちいち見つけ出したりしなくてもいいって思う人もいるかもしれない

 

でもそれだといつまでも自分の中から苦しみはなくならない

 

自我&エゴを昇華してやらないと、

1つの苦しみから運よく逃れられても、

また似たような別の苦しみ体験が起こる

 

 

「なんでそんなことやる必要が?」

って思うかな

 

それが私たちの魂が体験したいことだからだよ

 

いろんな苦しみを体験し、

それを頑張って乗り越える、

自我&エゴを見つけ出してクリアにしてやる

 

それを 根気よく 繰り返した先に

ノンデュアリティという到達点がある

 

それが魂がやりたい

リ・クリエーション(再創造、生き直し)だからだよ

 

 

 

 

ここまで書いてきたけど

私のブログも検証してもらって、

 

巷の(有名な)非二元ティーチャーたちが語ってることを自分は信じてるし支持するもーん

とか、

 

プロセスなんて面倒くさいし、

「シフト」が起こるのを待ってる方がいいし

とか思うんなら、

 

もちろん自分のやりたいようにやってね

 

 


じゃあここからはさらに詳しく

ノンデュアリティに至る仕組みを書いてこうか

 

 

と思ったけど長くなるから続きは次回に

 

 

 

 

 

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